留学だより

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重田文子(H13年卒)

留学先 University of California, Los Angeles

平成13年卒の重田文子です。私は2015年8月から2018年3月までの約2年半、University of California, Los Angeles(UCLA: カリフォルニア大学ロサンゼルス校)へ研究留学させていただきました。

ある日、国際学会に参加した夫がUCLA Radiologyへの研究留学を決めてきました。今後なかなか経験できないであろうアメリカ生活、ならば私も研究留学にチャレンジしてみたいという申し訳ないくらい軽い気持ちで大海原に飛び込んでしまいました。今回は研究の話が中心ではなく、「小さな子を抱えて夫婦揃っての研究留学」というテーマで寄稿させていただきます。研究留学は、留学地・受け入れ先・家族の状況・運などで大きく変わると思いますので、あくまでも一個人の経験談として読んでいただければと思います。

ロサンゼルス/UCLA概要

ロサンゼルスは、西海岸カリフォルニア州の南部に位置する人口約980万人、米国内第2位の大都市です。地中海性気候で、1年を通して温暖、雨はほとんど降らず、日差しは痛いけど日陰に入れば涼しいという感じです。研究や企業派遣で渡米している日本人も多く、様々な日本人コミュニティーがあります。至る所に日系スーパーもあるので、日本らしい食生活も送れます。エンターテイメントスポットや観光名所も豊富、場所を選べば治安は全く問題なく、日本人にとってかなり住みやすい街といってよいと思います。

UCLAはロサンゼルス市西部のWestwood地区にあります。1.7km2という広大なキャンパス敷地内には芝生が広がり、校舎・図書館・博物館だけでなく銅像庭園や大きな噴水、色々な映画に使われているJanss Stepsという階段等々、これらが様々な装飾を施された煉瓦造りのロマネスク様式で統一されています(写真左)。初夏には紫色のジャカランダ(カリフォルニア・ライラック)が満開になり、一層華やかになります(写真右)。こんな素敵なキャンパス傍に住居を構え、雲一つない真っ青な空の下、毎日徒歩で研究室へ通っていました。

苦労した受け入れ先

“留学したい!”と思っても、受け入れ先がなければ話になりません。私の場合、夫の留学先であるUCLA内で留学受け入れ先を探すという制限された状況だったため、受け入れ先探しに苦労しました。そのような厳しい状況の中で呼吸器領域での受け入れが難しく、最終的には巽浩一郎教授が奔走して下さり、Queen’s UniversityのDr. Stephen Archerの推薦をいただいてCardiologyのDr. Nsair Labへの所属が決まりました。私としては基礎研究に携われるだけでも嬉しかったので分野領域は気になりませんでした。

生活基盤をたてる

生活の基盤を立てるのにどのくらいの時間が必要なのか、正直わかりませんでした。夫も私も研究開始が2015年8月中旬からと決まり、とりあえず日本での仕事を6月末で終了とさせてもらいました。生活の基盤として、住居契約・家具/生活物品/車の購入・ライフライン/携帯の契約・保育園の手続き等々が必要になります。なるべく渡米前に動いてしまおうと、住居に関しては不動産屋と渡米前からメールでやり取りをして、夫の同僚の方が住んでいた家具付きアパートに内覧することなく決めてしまいました。保育園に関しては、UCLA周辺は日本同様慢性的な保育園不足と聞いていたので、留学6カ月以上前から数か所のpreschoolのwaiting listへ娘の名前を載せました。それ以外は現地で動かねばなのですが、娘を抱えてのセットアップは難しいだろうと考え、娘を私の両親に預けて7月中旬に私たち2人が先に渡米をしました。日本人の多いロサンゼルスでは日本語対応のエージェントも多く、当初考えていたより短時間で生活の基盤は整えることができました。ラボへの挨拶も済ませ、さぁこれから始まる!といった8月中旬に、娘をアメリカへ連れてきました。

刺激的だった研究生活

約5年ぶりの基礎研究生活が始まりました。Dr. Nsair LabではiPS細胞を用いた心臓再生研究に携わらせていただきました。心臓の研究、ましてやiPS細胞を使った研究などしたことのなかった私にとって、自分で分化させたiPS細胞が拍動しはじめただけでも感動ものでした。Dr. Nsair Labでは基礎的な実験手技を教えていただき、心臓発生/再生の奥深さや面白さを知ることが出来ました。

その後、更にアカデミックな研究を求めてMolecular, Cell and Developmental BiologyのDr. Nakano Labの門戸をたたき、心臓マクロファージに関するprojectを任せていただきました。Dr. Nakano Labは京都大学循環器内科ご出身の中野敦先生が主催されており、研究計画の立て方から論文の書き方まで、優しく厳しくそして細やかなご指導をいただきました。実際の手技等は、奥様の中野治子先生からまさに手取り足取りでご指導いただきました。毎週行われるmeetingでは中野敦先生の豊かな発想力から生まれる結果の解釈や仮説に毎回感銘を受け、3か月毎に課せられる論文形式の結果報告書と次の研究計画書提出、lab memberの前でのpresentationもモチベーション維持につながりました。いつも研究のことを考えているような生活でしたが、このような贅沢な時間が過ごせたのは本当にありがたいことで、一日一日大切に過ごせねばと常に心がけていました。先生方の温かいご指導のもとでlab memberと切磋琢磨しながら、何とか研究留学を遂行することが出来ました。

研究内容

哺乳類の胎生期には、卵黄嚢・背部大動脈といった様々な場が一時的に造血機能を有していますが、これらの役割は知られていません。今回我々は、胎生期に心内膜から一時的に生成される「心内膜由来心臓組織定住マクロファージ」という新しいマクロファージ集団を発見し、これらが心臓発生段階での弁形成に重要であることを証明しました。

心内膜細胞の系統追跡にはNfatc1-Creマウスを使用し、循環や他造血部位と独立して心臓から生成されるマクロファージの存在を確認しました。心内膜由来心臓組織定住マクロファージは心臓弁原基である胎生期心内膜床を中心に多く分布しており、通常の心臓マクロファージに比べて高い貪食能と抗原提示能を有していました。また、心内膜由来心臓組織定住マクロファージを特異的にノックアウトさせたマウスは、弁形成期の弁上には筋線維芽細胞やアポトーシス細胞を多く認め、成体では膠原繊維/弾性繊維/プロテオグリカンの増生を伴う重篤な弁奇形を有していましたが、他臓器に異常は認められませんでした。

この研究は、心内膜における一時的な造血機能が心臓発生に重要なマクロファージを生成する役割を担っていることを示したと共に、発生段階の組織リモデリングに必要な血球が、その組織自身で一時的局所的に生成されるという新たな理論を提唱しました。

EcTM: Endocardially Cardiac Tissue Macrophage
Shigeta A. et al. Endocardially Derived Macrophages Are Essential for Valvular Remodeling.
Dev Cell. 2019 Mar 11;48(5):617-630

娘の保育園事情

この留学生活中、新しい環境に慣れようと一番努力したのは娘だったかもしれません。娘は渡米時2歳半で、UCLAから車で10分ほどのpreschoolへ通うという生活が始まりました。渡米6か月前からお願いしていた数か所の保育園の中で、留学開始ギリギリで声をかけてくれたメソジスト教会内にあるpreschoolへ入園しました。ロサンゼルスの土地柄、先生も子供たちも様々な人種で構成されていました。日本人・メキシコ人・イラン人など英語が第一言語ではない園児も登園しており、そのような子供たちへの対応も慣れていました。入園当初は泣いて嫌がっていた娘も、1ヶ月もしたら自分でお弁当を抱えてニコニコ元気に通うようになりました。平日朝7時半から夕方6時まで預けることが可能、食が細く食べるのが遅い娘に対して15時に改めてお弁当の残りを食べさせてくれる時間を設けてくれたり、計画的にトイレトレーニングを導入してくれたり、「アメリカの保育園って大丈夫なのかな?」という当初の不安はすぐに一掃されました。「孫を見ているようで色々お世話したくなっちゃうのよ」と娘を本当に可愛がってくれ、とても温かみがあり素晴らしいpreschoolだったので最後までここへお世話になりました。

夫との協力体制で乗り切った育児と研究

保育園児を抱えての研究生活は、決して簡単ではありませんでした。特に私は胎児マウスを扱っていたので、決められた日決められた時間に実験を行わねばいけないという時間制約が多く大変でした。早朝に実験の準備をしてから一時帰宅、朝食・お弁当を準備してから娘を保育園へ預け、その後に実験を開始して深夜までという日もありました。そこで救いだったのは、夫の研究が臨床研究だったことです。多方面の方々とのmeetingは数多くありましたが基本的には画像処理が中心で、必要に応じて研究時間を調整してくれました。食事の準備・保育園送迎・お風呂・寝かしつけ等々、留学前では考えられないくらいに育児の基本/応用をこなせるようになってくれました。ラボには私と同様小さな子供を抱えた女性研究者もおり、メンバー皆が育児に対して理解があったことも、私達が乗り越えられた大きな要因かと思います。

やはり必要だった助っ人・・・

これらを全部自分たちで乗り切りました!と言えれば相当恰好が良かったのですが、学会期間中や研究が立て込んでいる時など、やはり自分たちだけでは無理な場面に直面しました。特に留学後半は実験に追われ、娘にも寂しい思いをさせてしまうことが多くなってしまいました。そんな可哀そうな孫を助けようと、私の両親がしばしばロサンゼルスに助っ人として登場しました。ロサンゼルスは日本から直行便で10時間、空港からUCLAまで車で20分とアクセスが良く、また家からスーパーは徒歩5分、保育園は徒歩20分と、高齢の両親でも車なしに生活できる環境だったのが幸いでした。今回の留学を乗り切れたのも、私の両親の影ながらのサポートあってのことで、頭が上がりません。

子供が病気になったとき

娘が病気の時は、完全シフト性を導入して乗り切りました。渡米前から中耳炎を繰り返していた娘でしたが、心配は的中・・・UCLAの小児科やurgent care(休日診療所)にお世話になりました。また、クループ発作でemergency roomも経験しました。助かったのは通訳システム、様々な人種が集まるロサンゼルスだからでしょうか、依頼すると通訳の方が電話に出てきて医者と私たちの通訳を無料でしてくれます。支払いに関しては保険を使ったので破格ではありませんでしたが、そもそも医療保険が家族3人で毎月10万円以上払っていたので、安いとはいえません。解熱剤など、大概の薬は市販薬として近隣スーパーで手に入ることが多くとても便利でした。

子供に優しい人と街

アメリカは子育てのしやすい土地でした。子供がいるとたいがいの公共施設では長蛇の列を並ぶことなく専用口へ案内され、交通機関で立っていれば席を譲ってくれました。そして驚いたのが公園の広さと遊具の充実さです。日本と同様に町中に公園が点在しているのですが、ひとつひとつがとても広く綺麗に整備されており、また遊具の数も規模もアメリカ級、落ちても怪我がないようにと地面は柔らかい素材になっていました。また、スーパーの店員さんや通りすがりの方々が「可愛いわね」「何歳?」「シールあげるよ」と話しかけてきてくれることもしばしば。それが特別なことではなく当たり前といった雰囲気に、居心地の良さを感じました。

アメリカ在住ならではの楽しみ方

ホームパーティーやバースデーパーティーにしばしば招待していただきました。子供たちのバースデーパーティーに対する親の熱意は相当なもので、大きな遊具施設貸し切り、アナ雪一色の会場にエルサが登場して歌を披露、みんなでダンスパーティー等々、私達も楽しませてもらいました。Thanks givingやChristmas等のイベントパーティーでは、日本では味わえないような雰囲気を十分に堪能させてもらいました。

また、旅行好きな私達は、忙しい研究の合間を縫ってアメリカ内の様々なところへ行きました。これも留学の醍醐味の一つだと思います。3連休があれば国立公園まで足を延ばせました。帰国直前は2年半共に過ごしてくれた愛車で2週間かけ、ロサンゼルスからニューヨークまで横断してきました。どこまでも続く大自然を突っ走り地平線に沈む太陽を眺め、各都市ではその土地ならではの食事や文化を堪能し、2年半の思い出に浸りながらの旅は一生心に残る素晴らしいものになりました。

育児と研究留学を両立させるには?

振り返ってみて、私が何とか育児と研究留学を両立させることができた理由に以下のことが挙げられると思います。

  1. 夫との協力体制 → 常に感謝の心を忘れずに
  2. 家族の健康   → 自分達だけでなく日本で待っていてくれた家族の健康あってこそ
  3. 日本からのバックアップ → 孫への愛の深さは尊いです
  4. ラボの育児へ対する理解 → Dr. Nsair・中野先生・治子先生、ありがとうございました
  5. 利便性を考えた住居選択 → いかに効率的な生活を送るかは重要です
  6. 何としてでも留学を成功させるんだという熱意 →最後は完全に意地でしたが、、、

最後に、、、

ラボへ受け入れてくださり細やかな指導をしてくださったDr. Nsair・中野先生・治子先生、私の拙い英語を一生懸命聞きとってくれて一緒に研究を進めてくれたラボメンバー、子供がいながらでも研究をまとめることが出来たのは皆様のおかげです。

留学探しから留学最後まで心強い励ましのお言葉を下さった巽浩一郎教授、いつも相談にのってくださり心優しくお気遣いくださった寺田二郎先生・川田奈緒子先生、頼もしい後ろ盾で興味ある世界へ羽ばたかせてくれる当科だったからこそ、最後まであきらめずに頑張れたと言って過言ではありません。

そして、いつも前向きな発言で励ましてくれて共に困難な状況を乗り切ってくれた夫、どのような環境でも楽しめる術を見つけて頑張ってくれたしーちゃん、本当にどうもありがとう。

“小さな子供がいても研究留学をしてみたい!”という女性医師の方々、そのような奥様を持つ男性医師の方々に少しでも参考になるお話であったのなら嬉しいです。

今後は留学の経験を活かして、臨床・研究・教育にと呼吸器内科の発展に貢献できるよう精進して参りたいと思っております。